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道の駅高田松原(タピック45)イベント広場内にて撮影 2009/8/7 21 00~ 駅前組七夕山車 沼田組七夕山車 大町組七夕山車 荒町組七夕山車 ))) 長砂組七夕山車 森前組七夕山車 中央組七夕山車 鳴石組七夕山車 ))) 大石組七夕山車 川原組七夕山車 和野組七夕山車 ))) copyright © 2009 陸前高田市探訪 all rights reserved.
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各家庭に配られたチラシ〔2009/7/30〕 2011年にアナログ放送送信が、停波するに至り陸前高田地域でもいよいよ8月7日から小友町の陸前高田仁田山送信局から地デジ試験電波が送信される事となりました。 それに伴い「地デジ説明会」が、各地域内で行われると総務省からの地デジチラシが、各家庭に郵送で届きました。 copyright © 2009 陸前高田市探訪 all rights reserved.
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7月17日 高田松原・広田湾海水浴場海開き 7月20日 高田松原クリーンキャンペーン 7月25日 チャオチャオ陸前高田道中踊り カブト・クワガタ大きさコンテスト 7月31日~8月1日 三陸・大船渡夏祭り 8月02日 ビーチバレーボール大会(高田松原海岸) 8月07日 うごく七夕祭り(高田市内) 気仙町けんか七夕祭り 8月08日~8月15日 うごく七夕展示(道の駅 タピック45内) 8月09日 みちのくフットサルゲーム2009 ビーチサッカーin高田松原 8月14日 第9回高田松原花火大会(高田松原沖にて打ち上げ) 8月15日 気仙川川開き(気仙町姉歯橋付近) 8月19日 社協グラウンド・ゴルフ大会 8月23日 高田松原カップビーチーバレー大会 8月30日 第11回民謡「気仙坂」全国大会inりくぜんたかた copyright © 2009 陸前高田市探訪 all rights reserved.
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改装前市民体育館 改装後市民体育館 建物:高田市市民体育館と中央公民館 場所:陸前高田市高田町砂畑61-1 中央の時計塔をはさみ右側は、市民体育館 左側は中央公民館となっております。 時計塔の前方には裸婦のモニュメント像が有りまわりは緑の芝生が生えており散策には良い立地環境になっています。 市民体育館前モニュメント 建立名:岩頭の女(ひと) 建立日:1983年8月12日 製作者:柳原義達氏 寄贈者:塩釜市 臼井氏 等身大の裸婦のモニュメント像で、大きな台座の上に立っていて高田市内を見つめているそんな感じのする像です。 今日は、午前中曇り空及び雨模様でしたが、午後になって暖かい日差しが出て丁度良い撮影日和に恵まれました。 この様子だと道中踊りも開催されると思いますので、その画像等も添付したいと思っています。 copyright © 2009-2010 陸前高田市探訪 all rights reserved.
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高田高校実習船「かもめ」 2011年(平成23)年の大津波で流され、アメリカ西海岸のクレセントシティ市に漂着した岩手県立高田高等学校の実習船「かもめ」が、現地の高校生の呼びかけにより、2013(平成25)年に陸前高田市内に里帰りしました。 -博物館資料より抜粋- 案内図を見てみると2011年3月11日に津波で陸前高田市を離れた高田高校実習船「かもめ」は、太平洋を漂流して遥か遠いアメリカ合衆国クレセントシティに約3年掛かって漂着し、地元のデルノーテ高校の生徒たちによって洗浄され、アメリカ合衆国クレセントシティ市から2013年10月に陸前高田市に返還されました。 クレセントシティ市からタイルアート寄贈
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au陸前高田の閉店・閉鎖 陸前高田市馬場にあったau陸前高田営業所が2024年2月29日の営業を最後に大船渡市権現堂にあるau大船渡支店と統合しますとの張り紙が貼ってありました。 陸前高田にはもう一ヶ所、アバッセにdocomo陸前高田営業所がありますので、交通弱者のお年寄り等がauからdocomoに乗り換える可能性もなきにしもあらずと思いました。 以前、用事を兼ねてBRTを乗り継ぎ盛まで、そこから権現堂橋まて徒歩で歩いてみましたが、大体大人(男子)の足で約20分弱でした。これが、高齢者や身障者ならばとても無理だと閉店の張り紙を見た時感じました。 陸前高田市が少子高齢化になり、このサイトで示している通り人口も減少していますが何でもかんでも大船渡に持っていくことが良いのか、もう少し利便性を企業及び公共団体に考えてもらったら良いのではないか?と疑問を持っています。
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新国道45号線(高田バイパス)沿道にあり交通の便も生活環境も申し分ない立地条件に建てられています。 周りには、スーパー「リプル」ホームセンター「コメリ」「海と貝のミュージアム」「海洋センター」等があり、そこから少し足を伸ばしますと「高田松原」や「高田松原海水浴場」も傍となっています。 建物は、2棟5階建て80戸が、入居出来まして建物内部は、3DKとなっています。 建物名:雇用促進住宅陸前高田第二宿舎 場所 :陸前高田市高田町字下宿34-5 コメリ側から望む copyright © 2009-2010 陸前高田市探訪 all rights reserved.
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モビリア内陸前高田コミュニティー図書室「震災前陸前高田写真展」風景 2013/7/25~2013/8/5 モビリア内にも沢山の仮設住宅があり高田市内各所から入居されております。そこの仮設に 住んでいる方や県立高田病院に医療サポートに入っている鹿児島県の方たちも来場され 来た方達から懐かしいと好評をはくしました。 来館者は約200名ほどでした。 最後の日には、日本写真協会会員の庄田 洋さんも来場なされ撮影や懇談、感想等を書かれて行きました。 )) )) )) ◆写真展を見た方の感想 懐かしいです。 ほんとうに懐かしく前の高田の町が見る事ができうれしいです。 40代 女性 鹿児島から来ました。高田病院への医療サポートです。以前の高田を知りません。震災後の高田から写真を通して震災前の高田を知り胸にせまる重いがします。 鹿児島医療サポートチーム この施設で懐かしい写真が拝見できて心が休まりました。朝から晩まで休むことなく働いている毎日でしたが高田に来れて心が落ち着きました。 庄治さん 久しぶりに、震災前の高田の風景を眺めてとても懐かしく、「あの場所でこんな事をしたな・・あの時はこんな事があったな・・」と感慨に耽ってしまいました。幼少の頃の思い出、七夕祭り、母校、松原で散歩した事、汽車に乗って出かけた事・・・ひとつひとつの思い出が高田の風景とともにいつまでも心に残っています。 もう元の高田の姿には戻らないけど・・・新しい"陸前高田"に期待しています。 モビリア仮設住民より 津波の前の街並みや風景を見て「こんな所もあった。ここにも行ったなぁ」と懐かしく思い出しました。多くの人々の生活が、そこにはあったんです。どこに行ってしまったのでしょう。懐かしい思いもありますが、悲しい気持ちにもなりました。いつか、陸前高田が復興する日を待っています。 元高田町住民 高田松原の以前の写真貴重ですね。タピック、気仙川水門、姉歯橋、雇用促進住宅、皆、文化財のように大切です。大事にして展示して行くようお願いいたします。 日本写真家協会会員 庄田洋さん copyright © 2009-2013 陸前高田市探訪 all rights reserved.
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★高田松原津波復興祈念公園全体図 A 高田松原津波復興祈念公園 東日本大震災津波伝承館 道の駅高田松原 陸前高田市気仙町字土手影180 B 陸前高田市震災遺構 道の駅タピック45 陸前高田市高田町字古川28-5 C 奇跡の一本松 D 陸前高田市震災遺構 陸前高田ユースホステル 陸前高田市気仙町字砂森176-6 E 陸前高田市震災遺構 市立気仙中学校 陸前高田市気仙町字小渕77-1 F 名勝高田松原記念碑 陸前高田市高田町字中宿51付近 (高田松原津波復興祈念公園管理棟付近) G 陸前高田市震災遺構 雇用促進住宅陸前高田第二宿舎 陸前高田市高田町字下宿34-5